#古代エジプトレイキ-SSR~癒しの時間
最近、レイキは私の人生の一部であることを深く実感しました。日常のレイキの練習をしている中、時間の感覚が少なく、「またどのぐらい時間がかかるの?」という考えは出ません。癒しの対象が自分である場合、根気強く、継続的に、継続的に、続けることです。開始と終了、或いは時間の要素に悩まされたりはしません。
少し前に、娘の筋肉炎症を処理して、毎日15分、連続一週間のレイキを実施しました。毎日体調を確認することもでき、途中に他人の癒しにかけている時間を気になるようになりました。
私:「今日梨状筋の調子はどう?」
娘:「歩く時引っ張られるような感じで、痛い」
私:「今日梨状筋の調子はどう?」
娘:「腰が曲がれなくて、立ったまま頭を洗うしかないね」
私:「今日梨状筋の調子はどう?」
娘:「やっと腰を曲げて頭を洗う事ができた」
私:「今日梨状筋の調子はどう?」
娘:「あと少しだけの痛みだね」
私:「今日梨状筋の調子はどう?」
娘:「もうどこにあるか感じないほど全然痛くないんだ」
明確な目標に向かって処理する時、時間が気になり、回復する時間にも期待します。しかし、今回の経験でヒーリングで根気強さが必要だと学びました。例えば、問題を放置する時間が長いとか、問題に関連する範囲が広いとかの場合、癒しを実施する過程も正しく認識を持たないといけません。レイキは手を振ったら出たり消えたりする魔法ではなく、確実に時間をかけて、本当の変化をもたらすエネルギーです。
#古代エジプトレイキ-SSR~癒しの方向
ある日昼食に向かう途中、突然、癒しというのは皆それぞれ同じように変えるのではなく、完璧に100点に達成するのでもないものだと考えが浮かんできました。では、癒しは方向性が持っているの?それとも人をどこまで導いていくの?と考え始めました。
私にとっては、癒しの方向は市場にお米を買いに行く時、オーナーは秤で買う重さを測りながら、もう片手でお米を掴んで増減するかどうかのバランスを取っている段階のようです。少し増やしたり減らしたりして、最後に、米袋を持ちあげるあの瞬間はある動きがバランスを取っている最中のようなものです。
それぞれの癒しは独自性があるように、皆の癒しにも違う方向性があります。自分はどんな時でも変化していると理解すると、自分がどこまで歩いていくかどこまで歩くべきかに悩まなくなります。癒しの方向は変化の中でバランスを取ること、変化の中で弾力と空間を持つ事です。